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白川公園(名古屋市)付近の税理士事務所

名古屋の白川公園は昔どんな場所だったのか、ふと気になりましたので調べてみました。広大といえる規模の公園が名古屋市の中心部に位置しているわけでして、何か特別な施設でもあったのかな…などあれこれ想像しましたが、よくある話の元々は寺社跡地だったようです。
(愛知県図書館所蔵「絵地図の世界」より一部転載。加筆・使用許可済)

この地図からわかるように、大須エリアから白川公園あたり一帯が江戸時代は寺社が密集する地区だったことがわかります。寺社ひとつひとつの敷地がずいぶんと広かったのですね。公園の原型ができたのが昭和17年あたりとのこと。

ちなみに、名古屋の白川公園付近の税理士さんはこちらをはじめたくさんあります。寺町であった地区を思い描きながら、この地区を通行したいと思います。



A 後藤正明税理士事務所
愛知県名古屋市中区栄2丁目15−10 ESSE栄 5F ‎北東 へ 231 m
B 佐々木正憲税理士事務所
愛知県名古屋市中区大須2丁目2−9 佐々木大須ビル 2F ‎ 南 へ 240 m
C 宮田佳典税理士事務所
愛知県名古屋市中区大須2丁目2−3 ‎ 南 へ 243 m
D 税理士法人みらい
愛知県名古屋市中区大須2丁目2−20 ‎ 南 へ 268 m
E 露無博税理士事務所
愛知県名古屋市中区栄3丁目22−26 末広会館 2F ‎東 へ 240 m
F コスモス(税理士法人)
愛知県名古屋市中区栄1丁目12−5 トーセンビル 9F ‎ 北西 へ 345 m
G 中野税務会計事務所
愛知県名古屋市中区大須2丁目9−33 アスター開発ビル6F ‎ 南 へ 349 m
H さむらいアソシエイツグループ
愛知県名古屋市中区栄2丁目11−7 伏見大島ビル204号 ‎ 北 へ 242 m
I 前田達也税理士事務所
愛知県名古屋市中区栄1丁目12−10 ‎北西 へ 326 m
J 妹尾紀彦税理士事務所
愛知県名古屋市中区栄2丁目15−27 ‎ 東 へ 182 m

…その他多数

東海税理士会がある名古屋駅南エリア

名古屋地区における税理士会は名古屋税理士会となりますが、愛知県(名古屋市と一部の地域を除く)と静岡県・三重県をエリアとする東海税理士会があります。この東海税理士会は名古屋駅の住友生命名古屋ビルに入っています。

この東海税理士会がある場所は昔どのような場所だったか、明治25年の地図を見てみました。

(国際日本文化研究センター所蔵・名古屋新圖 : 實地測量より一部転載。加筆・利用許可申請中)
西日置の鹽竈(しおがま)神社との位置関係から、おそらく印あたりかと思われます。ちなみにこの鹽竈神社は、天保6年(1835年)の名古屋城築城からですので、八事御幸山にある塩竈神社(1844~48)より古いことになります。西日置の鹽竈神社はこの当時は西本願寺に匹敵する敷地を有していたようです。

東海税理士会がある名古屋駅南エリアは、明治25年あたりまで田園風景が広がっていたのでしょうか。このエリアもよく通行しますので、あれこれ想像してしまいます。

名古屋税理士会がある池下の「池」とは

税理士として名古屋税理士会には大変お世話になっております。その名古屋税理士会が入る税理士会ビルは千種区の池下にあります。

この池下という地名ですが、池下の「池」は今池(古くは馬池)だと私はずっと思っていました。しかし、池下の池は正しくは蝮池(マムシヶ池)を指すそうです。蝮池は昔からここ一帯にあり、比較的大きな池だったようです。明治9年の尾張明細圖では、けっこう大きく描かれています。


(国際日本文化研究センター所蔵・尾張明細圖より一部転載。加筆・利用許可済)
その後の明治43年の最近名古屋明細地圖においては、今の名古屋税理士会の少し西側と思われるあたり(池下駅付近か?)に小さくなりつつも池として残っていることがわかります。


(国際日本文化研究センター所蔵・最近名古屋明細地圖より一部転載。加筆・利用許可済)
その後、大正10年に埋め立てられたとのことです。江戸時代はその名前からしてもマムシがウジャウジャ生息する近寄りがたい池だったのかも知れません。池下の池は蝮池(マムシヶ池)ということで、しばらくは名古屋税理士会に行く度に思い出すことになりそうです。

大名古屋ビルヂングと税理士資格

私は名古屋で税理士資格を取得しました。税理士資格の取得に向けて、地元では大原やTACにお世話になりました。そのTAC名古屋校が入っていたビルが大名古屋ビルヂングでした。現在、大名古屋ビルヂングの取り壊しも終わったようで、新築工事に着手されているようです。

この大名古屋ビルヂングという素敵な名称は残されるとのことで、名古屋で生まれ育った私としましては個人的にうれしい限りです。また、税理士としましても大変思い出深いビルでもあり、名古屋駅を通行する度に大名古屋ビルヂングの面影を思い出してしまいます。税理士資格受験という第二の受験勉強時代に通ったTAC名古屋校には大変お世話になりました。

いつか「○○ビルヂング」というビルに税理士事務所を構えたいとも思っています。とてもハイカラで洒落た物件に感じます。

名古屋の鬼門と山本快夫税理士事務所

山本快夫税理士事務所の地元である名古屋ですが、その鬼門を尾張四観音が守護してくれています。笠寺観音も荒子観音も甚目寺観音も龍泉寺観音も、すべてよく行くエリアに近いです。

正確には名古屋城の守護神であるわけですが、名古屋の街を守る名古屋城、その名古屋城を守る神様ということで、おおまかに感謝したいと思います。まあ方位もそれほど正確ではなく、だいたいの方位のようですし、きっとおおまかで良いのでしょう。ただ、山本快夫税理士事務所から見ますと、大きく方位がズレてしまいますが、気にしないことにします。

今年平成25年の恵方の観音様は笠寺ですね。税理士としてお世話になっています地元名古屋を守っていただき、ありがとうございます。

名古屋吹上と湧き水と山本快夫税理士事務所

前の税理士事務所が名古屋の吹上にありましたし、いまも名古屋高速の吹上出入口をよく利用していることから、吹上という地名も愛着があります。

この界隈は江戸時代は古井村だったようで、現在も古井ノ坂という交差点にその名を残します。名古屋市千種区にある高牟神社の湧き水が有名ですが、猿投山からの地下水脈により、この一帯は昔から良質な地下水が湧き出すところのようです。近くにあったサッポロビール名古屋工場も良質な地下水と関係あるのかも知れません。良質な地下水が吹き上がるほどに湧いて出たのかも知れません。(近くの海岸の砂が吹き上がったという説も)

また、吹上といえば吹上ホール・吹上公園ですが、江戸時代は墓地だったようです。その後の明治に愛知監獄が造られ名古屋監獄を経て昭和40年まで名古屋刑務所だったそうです。比較的最近の出来事なのですね。(個人的な跡地イメージ)

そんなことを思い描きながら、税理士としてお世話になっている地元名古屋の歴史を感じています。

山本快夫税理士事務所と名古屋の塩付通

山本快夫税理士事務所は名古屋の塩付通沿いにあります。

名古屋の塩付通は、一昔前の尾張の塩付街道(赤色の線)とは少しズレていますが、その街道の名残りです。塩付街道は、鳴海潟や星崎沿岸で作られた塩「前浜塩」を馬の背に付けて運んだことから名づけられたとのことです。馬により運搬したので、道中の安全を祈願して、所々に馬頭観音や地蔵菩薩が安置されていて、その一部が残っているようです。たしかに私がまだ名古屋市瑞穂区に住んでいた際に、旧い塩付街道沿いに地蔵さまのようなものを見ました。現在の名古屋の塩付通は、すぐ西側に名古屋環状線が通っているにも関わらず、交通量は比較的多く、また店舗も多いと思います。昔も塩を運ぶ馬が街道を行き交い活気があったのでしょうか。

そんなことを思い描きながら、たまには現在の塩付通ではなく、意外と狭い昔の塩付街道を徒歩で散歩して、税理士としてお世話になっている地元名古屋の歴史を感じてみようと思います。

名古屋の古地図と山本快夫税理士事務所

山本快夫税理士事務所(山本会計)は名古屋市昭和区の石仏町に在ります。昔は尾張国の石佛村の北はずれあたりだったと思うのですがどうなのでしょうか。


(愛知県図書館所蔵「絵地図の世界」より一部転載。加筆・使用許可済)
石佛村の近くには、西に御器所村、東に川名村が見えます。飯田街道と塩付街道とが交わるところは現在の川名本町1の交差点あたりでしょうから、それより南で、川名の西のあたりが、山本快夫税理士事務所の所在地(赤○印)だと思います。現在は塩付通沿いの西に事務所がありますが、昔の塩付街道は一本西を通っていますので、赤○印はもう少し東にズレることになりそうです。

御器所村に南には広見池らしき池が見えます。現在の広見町、昭和税務署の東あたりでしょうか。御器所村の北には今池があり、そのとおり池(馬池?)であったことがわかります。東方にはちゃんと東山も描かれています。伊勝も丸山も現在に残る地名も見えます。

名古屋市昭和区石仏町で税理士事務所を開いておりますが、江戸時代の尾張国の石佛村はこんな感じだったのか…と思いを馳せてみました。

那古野の交差点と名古屋

那古野の交差点をしばしば通行しますが、その度に名古屋という地名の歴史を思い出してしまいます。

もっとも現在は那古野は「なごの」という読みですが、名古屋という地名は尾張国那古野庄あたりだそうです。せっかく名古屋という地において税理士をやっていく身としましては地元・名古屋の歴史をもっと知りたいと考えています。那古野の交差点は私にとっては名古屋という地名の発祥を思い出させるちょっとしたスポットです。

税理士事務所所在地「名古屋」という地名

山本快夫税理士事務所の所在地は名古屋にあります。

まったく知らなかったのですが、名古屋(なごや)という地名は名古屋市のほかにも千葉県成田市と福島県猪苗代町にも名古屋という地名があるとのことで、驚きました。さらにいづれも東国や陸奥ということも驚きでした。

名古屋市の”なごや”の由来は那古野・浪越のようで、建春門院法花堂領尾張国那古野庄が文献初見のようです。そして那古屋・名護屋と、最後には名古屋となったとのことです。 前述の東国(千葉・福島)の名古屋は、自然発生的に「なごや」が生まれ、漢字表記も何らかの変遷を経て名古屋となったのでしょうか。それとも尾張国名古屋と関係のある動きが歴史上あって現在に至るのでしょうか。

様々な由来があって日本の各地に”なごや”という読みの地名が複数あることはまあ理解できるのですが、”名古屋”という表記を同じくする地名が複数あることはやはり驚きで、名古屋という地で税理士業を営む私にはとても関心があります。